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人類誕生の地を探る [歴史]

 人類誕生の地を探ると題したのですが、これはあくまで私の考えであって、定説となっている物とは違います。時間軸では、10万年前の化石が辿れる最も古い物となっていますが、とすると私の場合もっともっと古いものだとしなければなりません。どうしてかと言うと、今の大陸のプレートがまだまだこの状態ではないところから始まるからです。第一、10万年前のプレートが今の状態だった保証が何処にあるのでしょうか。生き物の発生の条件としては、物質の間に時空が存在することが可能となった時からですから、重力はもちろん電磁気力が発生した時からとなり、地球の磁極、電磁気力は南北に走っていますから、大陸が南北に分裂した時から生き物が発生する条件が発生します。それも、大体的にでなければなりません。だとすると、アフリカ大陸は分裂していませんから可能性は殆ど0に近いと思います。では何処が考えられるかと言うと、地中海を挟んでアフリカ大陸、ヨーロッパ地方にその可能性が生じます。だとすると今の人類世界の構図にかなりの問題、支障が生じます。つまり、今の中近東で繰り広げられている戦争は起こりえないからです。で、前に述べていた今のオーストラリア大陸と中東の分裂が、浮上してきます。同じ北半球の同じ緯度ぐらいですから、条件としてはこちらの方が広大であり南北がはっきり分かれますから可能性は大です。ですから、発祥は同事的にこの二つから起こったとするものです。アジア人に生まれた私にとってはこちらが祖先の原点です。もし道に迷ったらこの原点に戻れば良いわけですが、残念ながらその原点はインド大陸が移動して来たおかげで、ありません。もし、探しあぐねてもっと西に移動していったらどうでしょうか。2000年前であれば強大なローマ帝国です。当然ながら先祖が完全に違いますから、衝突は避けられません。と言ってもアジア人種は戦争と言う概念はなく武器はせいぜい狩猟のための道具のようなものだけで主張するのは生活のための縄張り、それも命までは損なうことのない傾向があるにも関わらずお互いの理解世界観が違うとなると、和解の方法がありません。今でもそれは変わらないのだと思います。それで争いを避けるためにナイル川をさかのぼって密かに暮らす部族が出たとしても可笑しくありません。この争いが無かったせいで、遺伝子的に調べると最古の遺伝子となるのかしれませんが、述べている通りそうでは無いとしました。


一方中東から東側に移動した、又は狩猟民族達は、最終的には今のアメリカ大陸、北アメリカ、南アメリカ大陸迄移動して行ったと考えられます。恐竜がまだ生きていた時代ですからかなりの時代生き延びてきたと考えられますが、状況が変化したのはヨーロッパから移住者がやってきた頃からだと思います。今の日本人はと言うと南からやって来たもの、北からやって来たものに分けられると思います。どちらが早いのかと言うと、移動の意味から言うと、狩猟民の方が早く、農耕民族は定住型ですから何か問題が発生しない限りやっては来ないのだと思います。青森の三内遺跡はその一つで、気候がら一年を暮らして行くだけで大変なので生活の知恵を絞り出さなければなりませんが、自然の恵みは他に類を見ない程豊富です。ただ、今でもそうですが、地震、津波、噴火に襲われひとたび大津波に飲まれてしまえば、絶滅するしかありません。よその地域が助けに来るなんてことは無いからです。


では、今の白人の先祖はと言うと、私は白人では無いので理解に苦しくなるのですが、古代に於いては然程活動範囲は広くなかったことは確かのようです。むしろ、中東系との争いの中、海を渡るしか成功の道が残されてい無いくらい追い詰められていたと、考えざるを得ません。まだ、地球が丸いことも知ら無いうちにです。その辺は西洋人に聞きたいところですが、聞くと「授業料を払え」と言われそうなので止めます。でも、この人種の場合、原点は探そうとすれば、見えにくいですがまだ残っています。が、大陸はもう元には戻れませんので、海の上です。多分バミューダ海域の中です。


では、当の日本はどうなのかと言うと、日本人の中には、京から人が派生したと説く人がいますが(文科省がそうかな?)、たかだか2000年の歴史だけ見てそうだとするのは危険で、2000年の歴史を見ても争いの無い平安の時代があったのかと探して見たって徳川時代の中でも短い時代だけで、その鎖国政策が、吉と出たのか凶と出たのかは、解釈次第なのだと思います。つまりかなりデタラメな地理観しかなかったための争いが絶えなかったのだと思います。


ここで、総括すると今アメリカと手を組んで何かをやらかそうとする、輩がいますが、インディアンを絶滅寸前まで滅ぼし、さもずっとそこに君臨しているかのごとく振舞うアメリカが味方だとは思っていません。敵とも思っていませんが、手を組む気にはなりません。


まあ、やりたいようにやれば、良いんだと思います。所詮、私から見れば手段を選ばない侵略者同士ですから。


地震から見た日本の歴史 [歴史]

日本の歴史を理解する時に地震・津波・火山噴火の災害を無視して語れないようです。
通常、文科省で作る日本史の教科書には時代時代の変化に際し、地震の事には触れていません。
でも、日本の歴史の年表と地震の年表と突き合わせながら眺めると、明らかに相関関係が見られます。
今でこそ、復旧、復興はある程度スムーズに行われますが、車やら重機等が無かった時代、それは一つの時代の終焉を意味していたのではないでしょうか。
つまり、地震による死者が数百数千だったとしても、その後の物資の調達、年貢の減少、庶民の生活苦よる不平不満、方や暴動ともなれれば、その機構を維持できなくなり、やがては新興勢力が台頭して来て、自ずから新しい時代が出来ていったと。
一例を挙げれば、平安時代です。wikipediaでは、こうあります。

9世紀
平安時代(794年-1190年頃)
[新月] 818年8月頃(弘仁9年7月) 北関東で地震 - M 7.9、死者多数。
[新月] 827年8月7日(8月11日)(天長4年7月12日) 京都で地震 - M 6.5~7。
[新月] 830年1月30日(2月3日)(天長7年1月3日) 出羽で地震 - M 7~7.5。
[新月] 841年前半(承和8年5月3日以前) 伊豆地震 - M 7、死者多数。
[新月] 850年11月23日(11月27日)(嘉祥3年10月16日) 出羽地震 - M 7、死者多数。
[新月] 863年7月6日(7月10日)(貞観5年6月17日) 越中・越後地震 - 死者多数、直江津付近にあった数個の小島が壊滅したと伝えられる。
[新月] (864年(貞観6年5月)富士山噴火(青木ヶ原樹海を作った貞観大噴火)、阿蘇山噴火)
[新月] 868年7月30日(8月3日)(貞観10年7月8日) 播磨・山城地震 - M 7台。
[新月] 869年7月9日(7月13日)(貞観11年5月26日夜) 貞観三陸地震 - M 8.3~8.6、陸奥国地大震動、地震に伴う津波(貞観津波)の被害が甚大で死者約1,000人。多賀城損壊。津波堆積物調査から震源域が岩手県沖~福島県沖、または茨城県沖の連動型超巨大地震の可能性も指摘される[7]。東北地方太平洋側で繰り返し発生していると推定されるM9クラスの地震の候補とされる[8]。
[新月] 878年10月28日(11月1日)(元慶2年9月29日) 相模・武蔵地震 - M 7.4、死者多数。京都でも揺れが感じられる。
[新月] 880年11月19日(11月23日)(元慶4年10月14日) 出雲で地震 - M 7。
[新月] 886年6月29日(7月3日)(仁和2年5月24日) - 伊豆諸島噴火。安房の国で降灰と地震。
[新月] 887年
[新月] (仁和3年)7月6日 越後西部を震源、M6.5。津波による溺死者は1000人にのぼったとされる。
[新月] 8月22日(8月26日)(仁和3年7月30日) 仁和地震(東海・東南海・南海地震連動説有) - M 8~8.5、五畿七道諸国大震、京都・摂津を中心に死者多数。津波あり。南海地震の記録だが地質調査によればほぼ同時期に東南海・東海地震も発生。
10世紀
[新月] 938年5月17日(5月22日)(承平8年4月15日) 京都などで地震 - M 7、死者あり。高野山でも建物損壊。その後も余震が多く、8月6日に大きな余震。
[新月] 976年7月17日(7月22日)(天延4年6月18日) 山城・近江地震 - M 6.7以上、死者50人以上。
11世紀
[新月] 1096年12月11日(12月17日)(嘉保3年11月24日) 永長地震(東海・東南海地震) - M 8~8.5、死者1万人以上と推定。東大寺の鐘が落下、伊勢・駿河で津波による大きな被害など。
[新月] 1099年2月16日(2月22日)(承徳3年1月24日) 康和地震(南海地震) - M 8~8.5、死者数万と推定。土佐で津波により大きな被害。興福寺、天王寺も被害。
12世紀
[新月] 1154年9月19日(9月26日)(仁平4年8月10日) 富山付近で地震。 富山付近で地震。新川郡で陥没、死傷者多数。
とあります。

この時代は、摂関政治、今で言う官僚統治機構が、ほぼ達成したかのようですが、このくらい地震の被害があれば、そう巧く機構が回らなくなったというのが実情ではないでしょうか。
話がそれますが、この末期頃に登場する、平氏政権が、今年の大河ドラマ「平清盛」というわけで、私の歴史観からは、かなりずれたドラマになりそうです。

次に台頭してくるのが、源氏で、鎌倉幕府なのですが、これも成立とほぼ同時に、地震の被害に遭っています。
地震年表をみると、明らかに地震津波で自動消滅した感が否めません。

ここで時代を飛ばして、江戸時代に進むと、やはり結構大きな地震に見舞われています。
徳川家は、伊達家ともタッグを組んでいますから、江戸も仙台も結構被害に遭っています。
よくこんなんで、江戸幕府が、300年も持ったもんだとしか言いようが有りません。
明治時代を迎える後期15年間は、地震のオンパレードです。

こうやって見てくると、日本とは自然災害との戦いであり、こんな国はそうそう有りません。
ヨーロッパでは地震が起こる国は限られており、イギリスで産業革命が先に起こったのも必然と言えば必然なのかもしれません。
歴史を読み解く方法としては、まだ方法が有るかもしれませんが、非連続的に教え込まれる日本の歴史にはもの凄く抵抗が有り、アメリカ・ヨーロッパは合理主義で、日本はそうでないと教えられました。
しかし、地震を入れて考えれば、日本とて合理主義的に歴史を理解できますし、そう教えてこなかったツケが、今回の地震・津波・原発事故の災害だったのではなかったのでしょうか。

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日本の歴史の読み方 [歴史]

日本のプレートに触れましたので、ここでやっと日本の歴史に触れられます。とはいえ、これはあくまで私の日本の歴史観ですので、参考程度です。前のブログにも書きましたが、日本の歴史は今の九州地方から始まっているようです。しかし、文明は寧ろ雪が降る寒い所の方が、発達し易いのではないでしょうか。何故なら、冬の寒さや雪の多さを乗り越えるのに、知恵が必要だからです。故に、季節季節で次の季節に備える準備が必要になり、食べ物の保存や冬期間の食料の確保、主に狩猟等で争いなどしている場合ではないからです。有名な上杉謙信公も西国地方の争いに巻き込まれないように備えただけで、武将のドラマに取り上げられる川中島の合戦などは、そんな格好いい話ではなく、争いの無駄なことを諭したのではなかったか。敵に塩を送るという言葉を残していることからも明らかだろう。寧ろ脅威だったのは、豊臣秀吉に依る天下統一という名目での武力制圧だったはずだ。今でも朝鮮半島としこりが残っています。

ところで不思議なのが、何故こうも西国の人達は争わなければ成らなかったのでしょうか。時代は、古墳時代に始まり、ヤマト王権は天皇に奪われます。このころあまり教科書には載りませんが、北米プレートにある蝦夷に大和朝廷は密使を度々送り、朝廷に従うように誘導しますが、元々文化圏が違うエミシが早々従う訳が無く、争いが絶えなかったようです。それを平定したのが奥州藤原氏です。中央との絆を深める中、仏教と稲作を広めたのも、彼らです。ですが、朝廷の狙いは、税収です。間抜けでない勇猛果敢なエミシは度々反乱していました。平安時代は比較的争いはなかったようですが、その後また争いが始まります。鎌倉時代から始まり、江戸時代前期まで続きます。源氏が台頭する中、藤原氏は源頼朝に滅ぼされます。武士の力が台頭する中、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康と、天皇と仏教とは離れた将軍政治が敷かれます。家康の狙いは、日本人への完全支配です。鎖国をしたって、支配したいとは何故なんでしょうか。私はこの手のテレビドラマを見ると、何故これが正当化され、美化されるのかが分かりません。武力で栄える者はいずれ武力に滅ぼされます。天下を取ったならそれだけの責任を果たすのが人の道です。鎖国をすれば、諸外国から攻められることも無く、国内であれば、武力で制圧できますから、敵無しです。言ってしまえば、独裁者です。過大評価するのは如何なものか。

これで分かる通り、日本の歴史はユーラシアプレートで暮らして来た人達の歴史です。それは争いと合法的な略奪ではないですか。これは何処かの国にも似ていますが、歴史的にそんな国が、長く栄えた試しは有りません。今の政治制度は、いまだにそこから脱却できていません。歴史が証明する通り彼らの元々の遺伝子がそうさせている訳なので、脱却は無理なのです。ちなみに私にはそんな遺伝子は持ち合わせていません。

さて明治政府が誕生してやっと世界の波に少し乗れて来た所ですが、遅れは遅れです。文明の遅れは、相当なものです。西洋の科学技術は日本ではほとんど皆無です。万有引力を発見したニュートンから200年、日本には、その概念すら有りません。相対性理論を愛対性理論と受け取った人が居たと言う実話もあることからも分かります。学問に国境はないはずですが、江戸幕府はすべてを排除しました。では、先の大戦とは何だっただろうという疑問が生まれて来ます。私には一家心中ならぬ国民総心中としか写りません。これは何に対する敗北なのでしょう。これは、徳川300年を許して来た庶民の敗北そのものです。何も日本が資源がないからなどというのは単なる詭弁です。戦争の狙いは、急激な時代の変化に付いて行けない人間の大量処分としか思えません。自分の国だから美化するのはしょうがないとしても、人間の判断を狂わすものであっては行けません。

これが私の日本の歴史観です。また色んな見方読み方もあることでしょう。ここで終わりますが、私は年号は使いたく有りません。これからの時代がどうなるか知るための勉強ですから、過去の歴史の流れが分かればそれで良いのです。いい国作ろう鎌倉幕府より、いい国作ろう民主主義政治です。
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坂本龍馬と科学者 [歴史]

坂本龍馬と科学者とは一見関係がないように誰もが思うだろう。
しかし私には関係があるのです。龍馬の様な人物は、因果律の元で行動しており、決して実在自体が無くなるわけではないと信じています。私は決定論の立場から言って、有り得ない社会構造有り得ない現実にはいつでもこういう英雄が出て来ると思います。人生はある種、ドラマとも言えるでしょう。

で私とどういう関係があるのかですが、よく似ているのです。私は大それた行動はしませんが、大それた思考はします。永遠の命を持つ者は、場所時間を問わず時空の中に存在していなければなりません。今人間はそんな事可能でしょうか。私達は、残念ながら皆一部の時空をもらい他と強調しながら生きています。私の理論では最低でも6人居ないと思考できません。これは両親とか親類を外した数です。
この人達は同じ時空を所有しているのですが、同じ場所にいるわけではないのです。さてどうやったら出会えるでしょうか。又はその存在を知ることが出来るでしょうか。この五次元の扉を開けるのに、大部苦しみ抜きました。時空を旅するのは容易なものではない中、坂本龍馬の様な人に出会ったのです。同じ傷を持っているので分かりました。後3人に出会えば思考回路誕生ですが、出会ったのに最初まとめることが出来ませんでした。。有り得ない社会現象が続き網羅することが出来なかったのです。この6人超の人達は、歴史上でも皆有名人です。名前は控えさせてください。

五次元の世界に住む人間にとっては、離れた場所であっても同時刻的に時空を共有します。
ここに来て何かの理論に似ているのに気づきました。そう超ひも理論です。この理論は高速加速器を使って実験的に裏付けをとっている理論ですが、ノーベル物理学賞を受賞した人達のテレビインタビューを聞いてて、あのニヤケ方は解せません。
紐は途切れてて、どっかで別の世界に繋がっているとするのはいいのですが、私の理論ではそんな実験をしなくても現れて来ます。第一私達人間を造っている原子のしかもカプセル化されているクオークの作用を受けて生活しているとはとても思えません。皆さんどう思われますか?
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